映画『オークストリートの異変』の感想!恐竜VS普通の家族、想像以上に容赦ない恐竜サバイバルだった

恐竜VS普通の家族!?
J・J・エイブラムス製作、アン・ハサウェイ主演、ユアン・マクレガー共演の映画『オークストリートの異変』を観てきた。
玄関にも恐竜、隣の家にも恐竜、いつもの交差点にも恐竜。平凡な住宅街が一瞬にして“恐竜だらけ”になる、これまでありそうでなかったSFサバイバル・アドベンチャーだ。
『オークストリートの異変』とは?

本作には原作がなく、『イット・フォローズ』などで知られるデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督が原案・脚本を手掛けたオリジナル作品。
舞台となるのは1980年代初頭の平穏な住宅街。そこへ突如として恐竜が出現し、ごく普通の家族が想像を絶する異常事態へ巻き込まれていく。
大都市やジャングルではなく、“いつもの家の前”に恐竜が現れる。この日常と非日常のギャップこそ、本作最大の面白さだ。
【マジか】アン・ハサウェイ、ご近所さんが恐竜に食べられる
『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイが、今度は住宅街で恐竜から逃げ回る。
玄関を開ければ恐竜、隣の家にも恐竜、交差点にも恐竜。まさに「玄関開けたら1秒で異常事態」という、とんでもない世界だ。
しかも家族が特殊部隊でも科学者でもないところがいい。“普通の人間が恐竜だらけの住宅街に放り込まれたらどうする?”というシンプルな設定だからこそ、恐怖が身近に感じられる。
いつどこから恐竜が襲いにくるのかわからない。徐々に迫ってくる恐怖がいい
本作で面白かったのが、どこから恐竜を登場するかわからない。
急な登場の仕方もあれば
最初は「何かいる?」「今、何か通った?」という小さな違和感から始まり、その正体が少しずつ明らかになっていくパターンもある。
そして気づいたときには、住宅街のいたるところに恐竜がいる。この“気配→違和感→確信→絶望”という見せ方が非常にうまく、序盤から徐々に緊張感が高まっていく。
恐竜映画だけど、どこかサバイバルホラーっぽい
恐竜が登場する作品といえば壮大なアドベンチャーを想像するが、『オークストリートの異変』は少し違う。
家、庭、道路といった日常的な場所が恐怖の舞台になるため、「次はどこから出てくる?」というサバイバルホラーに近い緊張感がある。
恐竜の巨大さを見せるだけではなく、“姿が見えない時間”まで怖い。デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督らしい恐怖演出が、恐竜映画と意外なほどマッチしていた。
IMAX&4Dとの相性が抜群の恐竜映画

そして、これは大きなスクリーンと音響で楽しみたい映画だ。
住宅街を走り回る恐竜の足音、突然襲ってくる瞬間の衝撃、逃走シーンのスピード感など、劇場だからこそ楽しめる場面が多い。
特に4Dなら、普通の住宅街が恐竜の狩場へ変わっていくサバイバル感をより身体で体験できそうだ。
※ここから先はオークストリートの異変のネタバレあり
ここからは『オークストリートの異変』終盤の展開、登場人物の生死、ラストシーンについて触れていく。
未鑑賞の人は、映画を観てから読むことをおすすめする。
一番ショッキングだった「グレッグ」の死亡シーン
本作で最も衝撃を受けたのは、やはりグレッグ(ユアン・マクレガー)が恐竜に襲われる場面だ。
それまでにも家族が何度も襲われ、ギリギリで助かる場面が続く。しかしグレッグはデニースを助けようとして恐竜に捕まり、脚を食いちぎられた末に命を落とす。
夫が襲われている間に家族が逃げなければならない描写もかなりショッキング。まさかメインキャラクターが途中で離脱するとは思っていなかった。
「いつ誰が死ぬかわからない」

グレッグの死がショッキングだったのは、残酷な死に方だったからではない。
ここまでは「危機一髪でも、結局この家族は助かるのでは?」という安心感がどこかにあった。しかしメインキャラクターであるグレッグが退場したことで、その前提が完全に崩される。
ここから先はデニースも子どもたちも、本当に食べられるかもしれない。一気にサバイバル映画としての緊張感が増した瞬間だった。
オークストリートの異変 ラストで気になったこと① 生きているグレッグは“本当のグレッグ”なのか?
そして本作最大の疑問がラスト。
デニースと子どもたちはワームホールを通って1982年へ帰還し、そこで生きているグレッグと再会する。一見すると、失われた家族が元通りになったハッピーエンドだ。
しかし、ここで疑問が残る。彼らが再会したグレッグは、恐竜に襲われた世界で家族を救うために犠牲になった“あのグレッグ”と同一人物なのだろうか?
グレッグの犠牲がなければ、家族は生き残れなかった
ここを考え始めると、『オークストリートの異変』は一気にタイムパラドックス映画として面白くなる。
恐竜に襲われた時間軸では、グレッグがデニースを助けたからこそ、残された家族は生き延びることができた。
ところが彼らが過去へ戻ったことで、“まだ死んでいないグレッグ”と再会する。この場合、元々その1982年に存在していたデニースや子どもたちはどうなったのかという疑問も生まれる。
オークストリートの異変 ラストで気になったこと② なぜジャネットが2人いる?
その疑問をさらに大きくするのが、ラストに映し出される“2人のジャネット”だ。
一人は異変を経験し、ワームホールを通って過去へ戻ってきたジャネット。そしてもう一人は、その時間軸にもともと存在していたジャネットだと考えられる。
つまり本作のタイムスリップは「過去を書き換えて自分自身が統合される」タイプではなく、過去へ戻った人間と、その時代にもともと存在する本人が同時に存在できる可能性がある。
ということは、デニースたちも2人いる?
そう考えると、かなり恐ろしい疑問が浮かんでくる。
ジャネットが2人存在できるなら、ワームホールを通って帰還したデニースや子どもたちにも、“その時間軸にもともと存在している自分たち”がいるのではないか。
映画はグレッグとの再会によって一見ハッピーエンドを迎える。しかし、2人のジャネットを意図的に見せたことで、その結末に巨大な疑問符を残している。
ハッピーエンドに見えて、実はかなり不気味なラスト

だからこそ、『オークストリートの異変』のラストは単純なハッピーエンドとは言い切れない。
グレッグは生きている。しかし、自分たちを守るために犠牲になったグレッグは確かに存在した。そして過去へ戻ったことで、同じ人物が複数存在する可能性まで示されている。
恐竜から逃げ切って「めでたし、めでたし」で終わらせず、最後の最後にSFらしい不気味さを残す。この後味はかなり好きだった。
オークストリートの異変。ただのSF恐竜パニック映画ではなかった
『オークストリートの異変』は、恐竜映画であり、家族映画であり、ホラーであり、最後にはタイムパラドックスまで絡んでくる異色のSFアドベンチャーだった。
特に面白いのは、恐竜を特別な場所へ見に行くのではなく、“自分たちが暮らしている日常へ恐竜がやって来る”という逆転の発想。
そしてグレッグの衝撃的な展開から、一見ハッピーエンドに見えるラストに残された違和感まで、観終わった後に誰かと考察したくなる。
玄関にも恐竜、隣の家にも恐竜、いつもの交差点にも恐竜。
恐竜VS普通の家族。ありそうでなかった、新感覚の恐竜サバイバル映画だ。



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